- 2007年11月3日(土) の50数年振り
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一昨日「中日ドラゴンズ」が53年振りに日本一になった。
当時のピッチャー杉下の落ちるボール、フォークボールが初めて世に出た時だった、私の半世紀前の出来事から、全く遮断されたある日、ひょんな事から再会することが出来た、YMCA野尻学荘の仲間達である。プロレスが盛んで私は「力道山」の大ファンであった、そんなところから私のニックネームは「オリキ」だった。
50年振りに会う感動は、信越線・古間駅であった、会ったとたんに、それは無くなり昔の感じを取り戻そうとする自分が、ちょっぴりおかしく、照れてしまった。
長野までの車中、DrAリーダーと、当時の話をした、全然覚えのないことがあった、しかし断片的に思い出すことが出来た。
他愛のないいたずら、声掛け合って登った黒姫山、浮き台のハイズカ、・・・・
野尻湖に着いて2班に分かれNさん、Tさんの別荘に落ち着いた、
一息入れた後、YMCA野尻学荘に行った。
昔のままの古いホール、我が「クルッターズ」(2週間を過ごしたキャビン)の銘板が保存されていた、メンバーが刻まれ(通称)50年前を思い、そのままの姿で残して戴いた学荘の方々に感謝。
再会することが出来た仲間達、自分の歩んで来た世界と違ったものを感じるメンバーで有った、「氏より育ち」。
当時、私とはちょっと違う人が多いなあ、と感じてキャンプ生活を楽しんだ、そして50年振りの彼らは全く変わらず、私とは違う世界にいる人々でした、あの、たった2週間のキャンプで生まれた友情も変わらないものだった、「クルッターズ」の仲間とこうして会うことが出来たこと、皆さんに感謝、自分の運に感謝。
YMCA、野尻学荘で学んだこと、それはメンバーに楽しんでもらい、学習して貰い、充実した仲間づくりをする事、そのお手伝いをして、出来上がった輪をみて満足する、たとえ仲間の上に居なくとも。
来年の野尻湖行きが待ち遠しい。